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身支度を整えて最初にする仕事はラウンド。つまりは患者さんたちへの挨拶。「お腹が痛いの治りましたか?」、「昨日はちゃんと眠れた?」と、挨拶以外に、なるべくひと言を添えるように心がけている。
プラスアルファのひと言は、その人に興味がないと具体的な言葉が出てこない、と思う。全ての人を把握し、フォローすることはたぶんできないけれど、少なくとも自分の担当する患者さんたちには、そういう姿勢で接し続けていきたい。 |
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ナースステーションでのミーティング、検温や配薬が終わると、本格的な実務を開始。 数人単位の班に分かれて、担当患者さんたちの部屋を巡回。
症状の重さによって、患者さんへの関わり方は違ってくる。重度の人には、歯磨きからおむつ交換まで全ての日常生活をアシスト。比較的軽度で、身の回りのことが自分でできる患者さんには、トレーニングの意味も含めて最低限の補助を。
あくまで本人の行動を促す手助け。これからずっと自分らしく生きていくために。私たちができることは、そのための誘導なんだと思う。 |
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午後、担当する患者さんが退院した。私はこの時、本人や家族の方へ、かける言葉に迷う。
他の病院なら、笑顔を添えて「お大事に」と言うのが普通なんだろうけど、それはちょっと違う、と感じてしまうのだ。何だかしっくりこない。精神科で治療する症状は、悪い箇所をすっかり完治して退院するという類いのものではないと思うから…。
「あせって、無理し過ぎないでね。つらかったら、また戻ってきてもいいんだよ」。退院する患者さんの背中に向かい、私はいつも心の中で小さくつぶやく。 |
入れ替わりに、再入院の患者さんがやってきた。以前、私が担当していた人…。残念だ、とは思わない。もちろん、また来てくれてありがとうとも思わない。「向こうでがんばり過ぎちゃったんだよね」と話しかけながら、患者さんの肩にそっと手を置く。
精神の問題は、根気よくつきあっていく病(やまい)。カルテに書いてない部分にこそ、治療する上で大切なものがある。こころの病気は、心を開ける人がいなくて、症状が進んでしまった人が多いと、私は思う。逆にそういう存在が一人でもいれば、少しだけでも治療の効果に繋がるのに、とも感じている。
全員は無理だけれど、誰かにとっての大切な一人にはなりたい。そうやって、患者さんに寄り添っていける看護師でいたい。いつもそう思う。 |
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今日はお休みの日。看護学校時代からの友人と、久しぶりに電話でおしゃべりをした。彼女は総合病院の中堅看護師として、今でも頑張っているとのこと。「精神科だからたいへんでしょ?」と訊かれたが、それは、どの分野でも「たいへんさ」の質が違うだけで、同じだと思う。 やはり、同業の人間でも、精神科の患者さんに、漠然とした恐さを感じてしまうのだろうか?
例えば、私の受け持ちで、よく怒鳴る患者さんがいる。最初は戸惑ったし、驚きもした。不安な気持ちがそうさせているのかなと思っていた。でもその人を観察していると、どうやらそうではなく、安心して接せられる看護師にだけそうしてることが、なんとなく伝わってきた。それがわかってからは、むしろ「もっと怒鳴って、怒鳴って。もっと甘えてちょうだい」って思えるようになった。そう言ったら友人は「なるほどねー」と納得していたみたいだ。
学校時代は、今、思い返しても、いちばんたいへんな3年間だったように思う。勉強もそうだったし、なによりも人間関係が煩わしかった。いじめ、というと語弊があるかな。上級生からの下級生全体への叱咤激励…、「すごく陰湿な」って注釈がつくけれど。「この前、教えたよね。覚えてないの? 教科書持ってきてー」とか。それがすごく嫌だった。だから、というわけでもないが、今の栗田病院はとても雰囲気がいい、と思う。先輩方からは、きちんと説明やアドバイスをしてもらえるし、こちらからの疑問も尋ねやすい。
「患者さんの身になっての看護」。創立以来の理念を貫いてきた病院だからこそ、私たちスタッフの可能性を、最大限に伸ばしてくれる環境が整っているのかな、と。この場所で働ける私は、正直、恵まれていると思う。 |
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